旧白水村のほぼ中央に位置していた吉田城の御献上汲場として知られています。
吉田城とは阿蘇家の重臣 吉田主水頭(もんどのかみ)が在城していたといわれています。阿蘇家の主城の一つとしてこの地に君臨し、阿蘇家が矢部郷をあわせて支配した当時、この城は位置的に非常に重要な役割を果たしたと言われ、この地域一帯に広大な土地を所有していました。そのため、修復野(城主使用のカヤを立てたところ)、馬場(馬の調教訓練場)、外園などの地名が残っており、当時附近一帯は町なして繁栄を極めたと言われます。
この吉田城の使用水を一手に引き受けていたのがこの吉田城御献上汲場で、今でも往来をしのばせるきれいな水が岩間から絶える事なく吹き出して、約15戸の民家では今なお飲料水としてこの水を使用しており「うまい水」への人間の欲望を満たしています。
湧水地内に白い物質が沢山混入していますが、これは「ハロイサイト」というもので、粘土鉱物でカオリン類に属します。六甲の水に代表される灘の酒の原水にはハロイサイトが影響しています。
湧水量:毎分約5トン
熊本名水百選の1つ